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Columun SBL/Documentary

「East Coast Park」相澤輝彦さんが案内する宮城・荒浜のバスケコートと震災遺構

宮城県で活動するチームで、今季からSBL男子東北SB2リーグへ参入している「NGP」。ヘッドコーチ(HC)の大瀧啓二(おおたき・けいじ)さんへの取材で、県内のバスケスポットを尋ねると、仙台市若林区荒浜にあるバスケ施設「East Coast Park(イーストコーストパーク)」の名前が挙がった。NGPのメンバーであり、その場所で働く相澤輝彦(あいざわ・てるひこ)さんを紹介いただき、急遽現地での取材を決行。コートだけでなく、隣接する震災遺構「仙台市立荒浜小学校」の案内までしていただくことに。震災の記憶を伝える場所と、ボールの弾む音が響く場所。今回は「East Coast Park」の紹介と、「荒浜小学校」を見学した様子をお伝えする。

 24時間無料開放 East Coast Parkの成り立ち

仙台市の中心部から東へ約10km、太平洋に面した沿岸部に、「East Coast Park」は存在する。かつて、東日本大震災で大きな被害を受けたこの場所に、フルコートが2面設置されており、24時間誰もが無料で使え、ボールも借りられる。コートの横にはクラブハウスが設置してあり、カフェスペースとしての利用も可能だ。

「勝手に入って、勝手に使って、勝手に帰ることができる場所です」と相澤さんは誇らしげに微笑む。

この場所の発起人は宮城県七ヶ浜町出身の藤村貴敏(ふじむら・たかとし)さん。小学校1年生からバスケットボールを始めた藤村さんは、明星大学在学中にストリートボールと出会い、その熱量に衝撃を受けたという。その後、ストリートボーラーを目指し、中国や本場のニューヨークなどで腕を磨く中で、どんどんストリートボールの魅力にハマっていった。

地元のストリートボールチームで活動している最中、仙台市集団移転跡地利活用の話を耳に入れ、行動に踏み切った。

仙台市では、今度津波が来た際に被害を最小限にするため、津波による予測浸水深が2mの区域を災害危険区域と定め、区域内の1540世帯を対象に内陸部への移転を実施。荒浜もそれに該当するため、住民は戻ってきていない。

仙台市はその場所の活用方法を事業者から公募。East Coast Parkは、その公募を経て生まれた施設だ。

藤村さん自身も高校1年生の春休み中に被災したが、「生まれ育った場所で何か自分なりのアクションを起こしたい」という思いと、ストリートボールとの出会いを掛け合わせ、「遠くから来た人にも、元々ここに住んでいた人にも、震災を知らない子どもたちにも、みんなにこの場所が魅力的な場所だと感じてほしい」と2023年9月17日にオープン。土日や祝日になるとコートはすべて埋まるほどの人が集まるという。

そこで働く相澤さんは「オーナーのタカさんが整備するにあたって、『日本には無料で使えるコートが少ない』っていう思いがあって整備されました。中国やアメリカだと、100m歩けば無料のコートに出会えたりするんですけど、そういう場所が日本には少ない。『いろんな人にストリートボールを触れてほしい』と思い24時間開放しています」と話す。

コートのすぐ隣にある荒浜小学校

コートの説明が一段落すると、相澤さんが話し始めたのが、隣接する荒浜小学校のことだった。

「あの学校にも触れておきたいんですけど、今は実際に通っている子どもたちはいないんです。このコートのあたりにも、震災前は家が何軒もあったそうで」

荒浜小学校は1873年(明治6年)創立の、地域で長く親しまれてきた学校だ。震災当時は91人の児童が通っていたが、2011年3月11日、児童や教職員、周辺住民ら合わせて320人がこの校舎に避難した。

押し寄せた津波は校舎の2階まで達し、避難した人々は屋上に取り残されたものの、翌日までに全員が無事救出された。校舎は2017年4月から震災遺構として一般公開されており、被災当時の姿がそのまま残されている。

藤村さんがコートの場所を決める際、荒浜小学校が近くにあることは大きなポイントだったという。相澤さんはこう明かす。

「このコートを整備した場所の考えの一つに、荒浜小学校が近くにあるっていうところも大きなポイントで。コートに遊びに来た際にはぜひ荒浜小学校にも足を運んで、昔震災があったところを感じて、バスケットボールを通して『震災があったんだよ』っていうところを忘れないでほしい。そういう思いもあって、ここを整備したそうです」

「人が戻ってくるって、こういうことなんだな」

そのまま、相澤さんの案内で校舎の中に入った。錆びついた柵、水に浸かった跡が生々しく残る校舎を、相澤さんはひとつひとつ指し示しながら説明してくれる。

校舎の屋上からは、少し離れた場所にある「避難の丘」と呼ばれる小高い丘が見えた。仙台市が整備したもので、想定される津波の高さに耐えられる設計になっている。

震災の恐ろしさを風化させない一方で、エリア一体には活気が戻ってきたとも相澤さんは話す。

「近くにある深沼海水浴場は震災の後ずっと閉鎖されていたんです。それがここ最近になってようやく海開きが再開されて(2024年に制限付きの海開き、2025年には制限なしの海開き)少しずつ人が戻ってきているなと感じています。ひとつの復興の形かもしれないですよね。ここで働いている身としては、すごくうれしいです」

「『久しぶりに戻ってきました、元々荒浜出身なんです』っていう方が、コートに立ち寄ってくださることもあるんです。人が戻ってくるって、こういうことなんだなって。私たち自身は荒浜の出身ではないですけど、この場所を守っていければなという思いで、スタッフみんなで頑張っています」

最後に案内してくれたのが、荒浜の入り口に立つ、バスケットボールのロゴが描かれた看板だ。

「荒浜に入ってくるときの入り口が、うちのコートなんです。『あ、バスケットコートがあるんだな』って気づいてくれたらいいなと思います」

学校からコートに戻ると、バスケをする親子がいた。このコートには年齢や性別を問わず、さまざまな人たちが集まる。その光景を見守る相澤さんの目はキラキラと輝いていた。

荒浜出身ではない相澤さんは、なぜこの土地でバスケットボールを仕事にすることになったのか。後編では、相澤さん自身が歩んできたバスケットボール人生を追いかける。