SBL
Columun SBL

小学生から50歳以上までが「日本一」を本気で目指す江別に根差したバスケットボールコミュニティの半世紀

北海道・江別市に、1976年から続くバスケットボールの組織がある。小学生から50代以上まで、世代を超えてコートに立ち続ける江別WILD BOARSだ。日本一を本気で目指しながら、誰もがバスケを続けられる環境を地道に作ってきた。その50年の歩みを少年団OBで「EBETSU W•B」のヘッドコーチを務める三浦洋さんに話を聞いた。

50年の積み重ね 少年団から始まったWILD BOARSの歴史

江別WILD BOARSのルーツは、1976年に遡る。当時、北海道の江別市には子どもたちが所属できるバスケットボールの少年団がなかった。「バスケットボールをやりたい」という声に応え、現在の総監督・源藤均氏が少年団を立ち上げたのが始まりだ。プロリーグのない時代、バスケットボールといえば実業団が中心だった頃のことである。

その後、少年団を卒業したOB会が1988年に発足し、クラブチームへと発展。さらに地域リーグ(SB2)への昇格、40歳以上のカテゴリー創設、50歳以上のカテゴリー創設と、チームの歴史は組織を支えてきたメンバーの年齢とともに積み上げられてきた。現在はU15も新設され、部活動の地域移行に直面している中学生世代の受け皿にもなっている。

「常に子どもも大人もそうですけども、学生の頃、そして社会人になっても、仕事以外のプライベートの中で目標や夢に向かっていくことで、仕事や家庭を含めた全てが充実していくというところが一つの意味合いなのかなとは思っています 」

 規模も大きく拡大した。全てのカテゴリーを合わせると135名を抱えている。それぞれの人数は以下の通りだ。

江別バスケットボール少年団:男子38名、女子12名の計50名。

EBETSU WILDBOARSu15:男子13名を含めた計16名。

EBETSU W•B NEO(オープンカテゴリー):16名。

EBETSU W•B地域リーグ):18名。

EBETSU W•B 40:15名。

EBETSU W•B 50:20名。

数年後には自然とオーバー60も新設され、その準備も進めている最中だと三浦さんは明かす。

これは単なる規模の拡大ではない。バスケットボールを続けたい人が、ライフステージのどの場面にいても戻ってこられる場所を作るという一貫した意志の表れだ。SB2に昇格後もオープンカテゴリーを残しているのも「江別で育った子どもたちが、上手い下手に関わらず『バスケットを単純にしたい』という思いを持つ人たちにとっての環境も用意したい」といった計らいからきている。

「子どもたちは二世世代が入っています」と担当の三浦さんは話す。少年団で育った子の子どもが、また同じコートに立つ。50年の歴史は江別のバスケットボールプレーヤーと共に育ち、優しく見守ってきた。

16年越しの全国大会。それでもまだ日本一には届いていない

EBETSU W•Bの特徴は、SB2北海道に所属する4チームの中で唯一、企業チームではないことだ。選手たちはそれぞれ異なる職場で働き、休日もバラバラ。週3回の練習会場は確保しているが、全員が揃うことはなかなか難しい。

結婚、出産、転勤。人生の節目のたびにチームを離れる選手もいる。それでも組織は50年間続いてきた。その理由は「日本一」を明確に掲げているからだ。

三浦さん自身は小学生から大学の学生バスケの間は一度も全国の舞台に立てなかったが、28歳の時に初めて全国の舞台を経験した。

「12歳の全道大会で決勝まで行ったんですよね。 その時に2点差で負けて全国大会に行けなくて。そこからだいたい16年ぐらい。そこで初めて行けたので、私自身もすごくうれしかったですし、『諦めなければ夢は叶うんだな』っていうのを思ったのと同時に、源藤も同じ思いだったんじゃないかなって思います」

それでもいまだ目標の日本一には届いていない。

「だからですかね。バスケは僕にとって全く面白くないです。普通でしかない。幸せを感じる時は試合で優勝した時とか、そういう時しかないですよね」

三浦さんはこう続けた。

「ただ、1週間とか2週間バスケットができなくなった時に、ふとボールを触ったり、身体を動かすと、『やっぱりバスケットって楽しいな』って感じたりします。だけど普段は全く楽しくないです。だけど本当に生活には必要で、例えるなら歯磨きみたいなもの。それをしないと生きていけないし、やらないと始まらない」

この言葉は、長年バスケットボールと向き合ってきた人間の正直な感覚なのだろう。楽しさより先に、続けることが生活の一部になっている。全国制覇に懸けるまっすぐな思いが言葉から感じ取れた。

40代、50代になっても本気で目標を語り、努力を続ける姿は子どもたちにとっても良い刺激になるだけに止まらず、この場所で働きながらバスケットボールを続けられるという進路の選択肢の広さを自然と示すことにも繋がっている。

コートを超えてつながる人と人 バスケットボールが生む可能性

クラブ全体の展望を尋ねると三浦さんは次のように話した。

「子どもから大人、おじいちゃんになっても、江別で育った子が江別に戻ってバスケットができるっていう環境をしっかり作り続けたい。そして日本一を目指すのに加えて、江別で育った子がBリーグや五輪でメダルを獲得したり、NBAでチャンピオンリングとかを獲得できたりするような選手の輩出ができればなと思っています」

三浦さんが「NBA」という大きな目標を口にするのにはあるきっかけがあった。Bリーグで活躍した後に地域に戻ってきた菅原洋介がその理由だ。

「小学生の時の能力を見たら、全然Bリーグになんか行けるような感じの選手じゃなかったんですよね。 運動能力も全くなくて、足も遅くて」と三浦さんは当時を懐かしむ。

それでも菅原はずっと「NBAに行きたい」と目標を口にし続けた。その結果、三浦さんの予想を裏切りBリーグの舞台を経験した。

「私自身は 28歳で全国大会に出場するまでは、全国大会に行くことが目標だったんですよね。 小学生の時の目標設定が小さすぎたので、 28歳でやっとたどり着いて、今でも日本一になってない。もっと小さい頃に「NBAに行きたい」とか言って、目標設定がもし高ければ、もっと早く全国大会に行けたかもしれないです。 だからこそ目標設定はすごく大事かなと思っています」

もちろん、バスケットボールが生む価値は勝敗だけではない。

「仕事と家庭だけのつながりでは、人との出会いが限られてしまう。スポーツをしていると、常に新しい人と出会える」と三浦さんは言う。

このクラブのメンバーには様々な職業の人がいる。すすきので夜にクラブを運営するメンバーもいれば、昔少年団に関わっていた人が会社で役職につき、スポンサーとしてチームを支えてくれるケースもある。

バスケットボールで繋がった縁が、何十年も後に別の形で戻ってくる。繋がり続ける。そして循環を生み出す。チームが積み重ねてきた歴史そのものが、大きなコミュニティを作り上げた。江別で育った子どもたちが、大人になり、親になり、また江別のコートに戻ってくる。WILDBOARSが描く未来の風景は生涯スポーツであるバスケットボールの可能性を証明している。