
千葉県船橋市育ちの石井講祐(シーホース三河・所属)は、小学4年生からバスケットボールを始め、高校は文武両道の八千代高校で全国大会に3年連続で出場を果たした。東海大学ではバスケ部員が多く所属する競技スポーツ学科ではなく生涯スポーツ学科を選択。「バスケだけになるのは嫌だった」という思いは幼い頃から一貫していた。卒業後はプロではなく実業団の富士通へ就職。ところが社会人2年目、眠っていたバスケへの思いが静かに燃え上がる。「自分で無理だと思って勝手に判断してやめちゃったことが残っていた」。悩み続けた末に出会ったのが、NBLに参入が決定した千葉ジェッツが開催するトライアウトの情報。「なんか『今だな』と感じた」——こうして石井は、人生を賭けた一歩を踏み出す。

退路を断って、プロの世界へ
石井選手が社会人3年目になった2013年。国内では新たにNBL(ナショナル・バスケットボール・リーグ)が創設され、当時bjリーグに所属していた千葉ジェッツが、NBLへ転籍した。この出来事が石井選手にとって、もう一つのターニングポイントとなる。
「1月にトライアウトがあるという情報を見て、いろいろ決心がつきました。もうこれでダメだったら選手を辞めようとも思っていたんです。もしその時は指導者になるつもりでした」
ゼロ百でいく。「バスケだけになるのは嫌だった」と語り続けてきた石井選手が、バスケットボール一本に覚悟を絞った瞬間だった。
富士通のバスケ部の監督や部長など、周囲への相談を重ねた末に出した答えでもあった。「いろいろな方に相談に乗ってもらっていましたね」と石井は振り返る。

そうして石井はトライアウトに参加して、練習生としてキャリアを歩み始めることになる。
練習に参加しながら、大学時代に取得した教員免許を生かし、千葉の教員チームで実践経験を積み上げた。半年後に正式に選手契約を勝ち取り、晴れて地元出身のプロ選手として赤いユニフォームに袖を通した。
「トップレベルの環境でバスケットができることは全く想像していませんでした。練習生からのスタートでしたし、プロになれた実感も最初はなかったです。いざ本契約をもらえたとしても、プロとしてどこまでできるのかも全くわからない状況でした。一個一個目の前のことをクリアしていった感覚です」

あの時、ラーメン屋に行かなかったら
そこから千葉ジェッツ、サンロッカーズ渋谷(現東京サンロッカーズ)、シーホース三河と強豪クラブを渡り歩き、これまで合計4度の天皇杯優勝にも貢献してきた石井選手。絶対的な3ポイントシューターとしてBリーグ全体に”石井”の名を轟かせたキャリアを振り返ると、随所に偶然の積み重なりを感じると言う。
「小学校、中学校、高校と転機がある時は何からしらのタイミングで『あの時ここに行っていなかったらな』とかありますね。『この時この先生が赴任していたから』とか、『高校3年生の時には地元でインターハイがあったから、一枠増えてインターハイに出られた』とかありましたね」

なかでも石井選手が笑顔で語るのが、中学時代の転校にまつわるエピソードだ。
「中学校も転校したんですけど、転校をどうするかっていう時に、たまたま父親と行ったラーメン屋のマスターが、父親の中学の先輩でした。その人が転校希望先の学校のPTA会長をやっていて、背中を押してもらいました。『あの時ラーメンを食いに行っていなかったら・・・』。運と巡り合わせと、周りの人のおかげで自分が乗せてもらってきている感じもします」
目には見えない運や巡り合わせも、些細なきっかけに反応し、自身の努力を重ねるからこそ意味を持つ。石井選手が座右の銘に掲げる「人事を尽くして天命を待つ」。そのままの生き方を石井選手は貫いてきた。

どんな立場にいる人にも、必ずチャンスはある
「今の自分があるのは、自分の力だけではないとすごく思っています。周りの方の努力でいろんなことが成り立っているものだと思いますし、そういう舞台でやりたいと思っていた自分にとっては、本当に夢のような感じですね」
「バスケだけになるのは嫌だった」と言い続けた石井選手が、バスケ一本に覚悟を絞り、プロの舞台をつかんだ。そして今、石井選手はバスケットボールを中心に据えながら、コートの外へと活動の幅を広げている。

クリニックを通じて子どもたちにバスケットボールを教え、note での執筆やメンタルトレーニングコーチの資格取得など、「いろんなことをしていきたい」という思いは現役の今も変わらない。
石井は学生時代を通じて、市や県の選抜にも、国体の選手にも選ばれたことがない。それでもBリーグのコートに長く立ち続けているという事実が、石井選手をある使命感へと駆り立てる。
「僕は学生時代に市や県の選抜だったり、国体だったりにも入ったことがないんですよ。それでもプロとして長くやって、ちゃんと結果を出せることを僕自身が体現することで、今くすぶっている子どもや、大人、どんな立場にいる人にも、必ずチャンスはあることを伝えたいというのは自分のミッションとしてずっと思っています」

バスケだけでは嫌だった少年は、バスケに人生を賭け、今はバスケを宝物と呼ぶ。
「バスケは宝物ですね。人生とか全てを切り開いたり、豊かにしてくれたのもバスケットボールがきっかけでした。だから人生の宝物です」












