
創部は1955年。日本の女子バスケにリーグが誕生するより12年も早く、丸紅の女子バスケ部は生まれた。男子チームが消え、専用の体育館がなくなっても、女子チームだけはずっと残り続けた。なぜ70年間、続けられたのか。その答えは、バスケットボールが生み出した人と人のつながりの中にあった。

類を見ない伝統的なチーム
丸紅女子バスケットボール部「丸紅ピンクウォリアーズ」は、東日本SB2リーグに所属する企業チームだ。創部は1955年で、今年でおよそ70年になる。全国実業団バスケットボールリーグ(現Wリーグの前身)が誕生したのは1967年のことで、丸紅はそのリーグができる12年前からすでにチームを持っていた。社会人バスケットボールリーグ(SBL)に所属する女子チームの中でも、これだけの歴史を持つチームは他に見当たらない。
かつて丸紅には男女ともにチームがあった。男子チームは日本リーグに上がり、年間億単位のコストがかかるようになった。バブル崩壊でその資金が続かなくなり、チームは1999年で廃部となった。一方、女子チームは企業のクラブ活動として活動を続けていたため、コストが会社の中で賄える範囲に収まっていたことで活動を続けることができた。
「良い時も悪い時も、細々と続いてきた」と石井敬一監督は言う。

選手は全員、丸紅グループの社員として働いている。練習は週4日。平日は仕事終わりに皇居周辺のオフィスから片道1時間以上かかる郊外の施設へ向かい、コートに立つのは夜8時以降になる。月末月初の繁忙期には来られない選手もいる。11人のロスターから2〜3人欠けると練習が成り立たない日もある。
それでも昨シーズンは東日本SB2リーグで優勝を果たした。年明けの最終節には、同僚や上司、グループ会社の社長まで100人以上が会場に駆けつけて声援を送った。
「やりたい」と言ってくれる選手がいたから
「一番は、やりたいって言ってくれる選手がずっといてくれたこと。会社がどんなにバックアップしても、やりたいっていう子がいなければ続かない」
現役時代は丸紅の選手として活躍し、その後、長年チームを支えてきた松戸玲子アシスタントコーチはそう語る。入団に特別なルートはない。選手は自ら就職活動をして丸紅グループへの入社を勝ち取り、チームに加わる。選手たちはどこに魅力を感じ、入社に至るのだろうか。

キャプテンの岩谷海音選手(#5)が初めて丸紅の練習を見に行った時、コートの外で年齢も経歴も関係なく笑いながら話している先輩たちがいた。それでもいざ練習が始まるとバチバチに戦う。そのオンオフに「ここがいいと思った」と岩谷選手は笑う。
「練習見に行かせてもらった時に、選手主体で意見を出しながらやってるのを見て。学生時代は監督が言ったことが絶対みたいな感じだったから、自分たちで話しながらできるのはすごくいい環境だなと思いました」

外から見てもわかるチームの温かさがそこにはあった。
ヘッドコーチの小笠海穂さんも、同じように惹かれてやってきた一人だ。選手として7年間プレーした後、コーチに転じた。
「関わってくれた人たちにすごく助けられました。その人たちに何か恩返ししたいという気持ちが強くなって選手も長く続けたし、後輩たちのために何かできないかと思って、コーチとして関わっていこうと思いました」
松戸さんも「OBの方が、家族よりバスケットみたいな感じで関わってくださる。だからこそ続けてこれた。今は私がその恩返しをしなきゃいけない」と真剣な眼差しで語った。
丸紅には引退してからも60歳近い年齢でバスケを続けているOGがいる。毎年、全国大会前にはOB・OG会の壮行会が開かれ、30人以上が顔を揃える。支えてもらった人が、今度は支える側になる。その循環が70年間、脈々と続いてきた。
オフシーズンの方が体調が悪いぐらい。みんなと会っている方が体調が良いんです。
会社全体でバスケ部を応援してくれる。その環境に小笠HCは救われたことがあったという。
「5年目ぐらいの時は仕事が忙しくて、土日しか練習に行けない月も全然ありました。その時に『ここにいる意味はあるのかな』と思ったことはありますし、練習に行けないから試合にも絡めなくなって」
「その時は平日の練習がある日も、仕事を終わらせれば練習に間に合うけれど、『まあ別にいっか』と思った時もありましたね。でも、会社の人から『今日練習なんじゃないの?』って、ずっと言い続けてくれたことが立ち直ったきっかけでしたね」

試合会場での声援だけでなく、普段の仕事現場でも気にかけてくれる同僚がいて、救われた選手たちがいる。社会人になってもバスケットボールができる環境に岩谷キャプテンは感謝を口にする。
「私は営業職で仕事が本当に忙しくて、バスケがなかったら結構病んでいたかもしれません。練習に行った方がスッキリします。(仕事との両立は)とても疲れるけれど、バスケの練習がある時は仕事を無理にでも切り上げて、練習ではバスケのことしか考えない」
「そして練習後とかに、仲間と仕事の話をすることで気持ちが楽になりますね。だから私はオフシーズンの方が体調が悪いぐらい。みんなと会っている方が体調が良いんです」と微笑む。

そんな岩谷キャプテンが掲げる今季の目標は、リーグ戦の全勝優勝と、全国大会での一勝だ。全国大会への出場は20年以上続いているが、全国の舞台では一勝から遠ざかっている。
「数年間全国大会にはずっと出ていますけど、一勝できていない現実があります。そこでまずは勝たなければ、丸紅の歴史的にも動いていかないという思いがあります。私が入ってからも、まだ一回も勝てていないので、そこを突破したいです」
「丸紅は若いチームで、4年目が一番上の代です。人数も学生時代とか、プロに比べると多い人数でやっているわけではないですが、全員で意見を出し合いながらやっています。外から見た時に『大変そうだね』と思われるよりも、『楽しそうにやっていて羨ましい』と思われる方が私としてもうれしい。『応援したい』って思われるチームを作っていくことが目標です」
支えてもらった人が、支える側になる。OB・OGはもちろん、バスケに関係ない社員からも気にかけられる。この循環が受け継がれてきたことで丸紅は70年も続く類を見ない長さのチームとなったのだ。
社会人になっても、バスケを続けたい。その気持ちに応える場所が、70年前からここにある。

このチームには「ワンツーエス」という掛け声の伝統がある。練習前、練習後、試合前の円陣。キャプテンが「ワンツー」と言えば、全員が「エス」と返す。不思議なのは、なぜ「エス」なのか誰も知らないことだ。
新入部員は必ず先輩に聞く。でも答えは返ってこない。いつから始まったかも、定かではない。それでも、ずっと続いている。そしてこれからも、丸紅の伝統は続いていくことになるだろう。

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https://www.instagram.com/marubeni_pinkwarriors
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